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地蔵菩薩縁紀

引用
『地蔵菩薩縁紀』(名古屋大学附属図書館所蔵)「名大システム 古典籍内容記述的データベース」収録(https://da.adm.thers.ac.jp/item/n004-20230901-00910)
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ID
j1966
コレクション内カテゴリ
  • 神宮皇学館文庫
書名
地蔵菩薩縁紀
書名ヨミ
ジゾウボサツエンギ
別タイトル / 旧書名
増福寺地蔵菩薩縁起
書名備考
書題簽「地蔵菩薩縁記」(左肩無辺)。内題「地蔵菩薩縁紀」。
数量
1冊
寸法・大きさ
24.0/16.8
丁数
4
原装・改装
改装
版写
刷り書写の態様
早印(田舎版風の墨付)。
書型
成立
奥書「〈末長村〉増福寺」。無刊記。書中に天明8年正月の年記あり。
成立推定
近世後期刊
内容注記
武蔵橘樹郡末長村(現・川崎市高津区末長)の天台宗増福寺の地蔵を中心とした略縁起刷物。増福寺の地蔵尊は弘法大師一刀三礼の作で、聖徳太子の御作の観世音とともに本堂に安置されていた。かつて天災により寺が焼失するが、寺の東の山中に観世音は無事に立っていた。一方、地蔵尊はその夜のうちに僧が来て負ってどこかに去る。数百年後、祐天上人が諸国修行の砌、摂州大坂に逗留、夢告により近隣の古物店より見出し、武州へ下す。江戸表赤坂に住む珠数屋半兵衛は上人の旧知で末長村の出身であったため、半兵衛を頼み増福寺に尊像を戻す。その後秘仏とされ、人々から忘れられるが、天明5年、村中に悪病が流行した際に、村内の九十餘の老人の助言により開帳、病人に拝させたところ、難病は悉く平癒、その後参詣人が増え、毎月十三日に開帳する。同寺は貧地で住持も無かったが、天明7年中秋のころ、下野日光山より住僧が入院する。天明8年正月、新作村の喜六の家族が疫癘を煩い、願い出て地蔵尊を借り出したところ、快気した。その後、方々より地蔵尊の招待にあい、今では月に一両日のみ寺に帰る程になった。末尾「信心の輩は寿福延命病難を除富栄ふる事疑ひなし地蔵尊の因縁あらまし是に書しるす」。
旧蔵印・識語
印記「来田氏家蔵」。
所蔵機関
名古屋大学附属図書館
請求記号
186.9-Z
備考
改装薄縹色表紙、布目(型押)。中央に別の題簽の剥落痕あり。本文4丁半。半丁10行。
メタデータ提供者
名古屋大学附属図書館
資料種別
和古書
画像有無
コレクション

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