熊野遊記・熊野名勝図画
引用
,『熊野遊記・熊野名勝図画』(名古屋大学附属図書館所蔵)「名大システム 古典籍内容記述的データベース」収録(https://da.adm.thers.ac.jp/item/n004-20230901-01453)
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ID
j1008
コレクション内カテゴリ
- 神宮皇学館文庫
書名
熊野遊記・熊野名勝図画
書名ヨミ
クマノユウキ・クマノメイショウズガ
別タイトル / 旧書名
熊野遊記名勝図画
書名備考
原題簽左肩単辺「熊野遊記 天」「熊野名勝図画 地(人)」。見返題「熊野遊記/名勝図画」。
編著者
北圃恪斎(恭)著・木芙蓉画
(
キタバタケカクサイ・モクフヨウ
)
数量
3冊
寸法・大きさ
26.0/18.4
丁数
74
原装・改装
原装
版写
版
刷り書写の態様
やや後印。
書型
大
成立
見返に「寛政十三辛酉開鐫/北圃恪斎著/木芙蓉先生絵/東都 北圃氏千鐘書房蔵版(朱印「北圃氏千鐘房正本記」)」。安永3年春、太室井孝徳(刻印「孝徳」「妙空公羽」)序。巻首「紀伊北圃恭著」。(図画巻頭)寛政12年9月、芙蓉木雍序(蓮華書(刻印「永胤」「蓮華」))。刊記の前に「〈芙蓉先生著〉/費漢源山水画式 全三冊/同後編 全三冊 近刻/新模名山勝概図 全三冊 近刻」の広告。寛政13年孟春、東都書林須原屋茂兵衛(朱印「北圃」)刊。刊記の右下版外に朱小長方印「製本森田」。
成立西暦
1801
存欠
記2巻(1冊)図画2巻
内容注記
安永2年(か)8月、紀州湯浅より熊野に遊んだ際の漢文体紀行文。同行者は隣郷の真宗僧積門離染とその女阿歌及び従者1人。行程は、8月12日:出立、湯浅より博川、井関村、河瀬村、原谷村、塩屋村(泊)、13日:白河帝行宮趾、上野村、印南村、切目村、千里浜、南部村(泊)、14日:境村、牛鼻、田辺、三栖村、鍵岩、芝村(泊)、16日:高原阪、十条村、野中村(泊)、16日(本文では「十五日」に誤る):赤城村、湯川村、茨城、湯峰村(泊)、17日:無音里、本宮村本宮、(熊野川を舟行、以上上巻)、新宮(泊)、18日:西谷、佐野、宇久井、太池崎、赤色浜、那智(泊)、19日:大悲閣、雲鳥阪、妙法嶺、地蔵茶坊、石堂村、小口村(泊)、20日:川合村、請川村、本宮(泊)、21日:高原(泊)、22日:三栖阪、芳養村、岩白(泊)、23日:小松原、博川、湯浅(帰宅)。名所旧跡の歴史譚を交えつつ、風景・風俗や見聞を描写する。巻2・3は「図画」で、名勝風景の写生画集。末尾に、描かれた地名についての解説を付す。著者は江戸の大書肆須原屋茂兵衛(刊行時の須原屋の先々代)で、郷里の湯浅にも家があった。天明2年没、52歳。名勝地である熊野に記が無いために、渋井太室が勧めて記文を作ったもの。跋によれば、絵は著者の子の須原屋主人の依頼により鈴木芙蓉が熊野に出かけて写生したが、寛政11年に主人が没したために、翌年夏にその子(著者の孫)が江戸に来た際に絵を託したという。なお、旅行の年は、本文に「今茲丁巳之秋」とあり、丁巳は寛政9年であるが、安永3年春の渋井太室序に著者が「懐記来謁」とあり、その前年の安永2年癸巳と推定した。
所蔵機関
名古屋大学附属図書館
請求記号
291.09-Ku
備考
紺色表紙。
メタデータ提供者
名古屋大学附属図書館
資料種別
和古書
画像有無
無
コレクション
名大システム 古典籍内容記述的データベース
名古屋大学が所蔵する和漢古典籍について、書誌だけでなく内容までも詳細に記述したデータベースです。