天磐笛記
引用
,『天磐笛記』(名古屋大学附属図書館所蔵)「名大システム 古典籍内容記述的データベース」収録(https://da.adm.thers.ac.jp/item/n004-20230901-00729)
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ID
j492
コレクション内カテゴリ
- 神宮皇学館文庫
書名
天磐笛記
書名ヨミ
アマノイワブエノキ
別タイトル / 旧書名
猿田神社玉ケ池神社記
書名備考
外題・内題なし。書名は国書総目録より推定。旧書名「猿田神社玉ケ池神社記」。
編著者
宮内嘉長・石上鑒通
(
ミヤウチヨシナガ・イソノカミテルミチ
)
数量
1冊
寸法・大きさ
26.5/18.3
丁数
21
原装・改装
原装
版写
写
刷り書写の態様
転写本。
書型
大
成立
巻首「師の大人の天磐笛を得たまへる故よしを知たるまに++かきしるして見せよとのたまへるによりてかき記し見せ奉るふみ/〈下総国銚子神明宮神主〉宮内嘉長/〈同国同所新生町〉石上鑒通」。
成立推定
近世後期写
内容注記
平田篤胤が「天磐笛」を入手した顛末を記した紀行文。漢字かな交じり。文化13年5月、平田篤胤(時に41歳)が渡辺之望(荒陽、武蔵大袋村の人、篤胤門の国学者、時に65歳)を伴い鹿島・香取の2宮を参詣、その帰途の11日に銚子に立ち寄り石上鑒通宅に滞在、門人たちが集う。13日、篤胤の希望により猿田神社(現・銚子市猿田町)と玉ケ崎明神(現・旭市飯岡、玉崎神社)に参詣、宮内嘉長と鑒通が案内する。猿田神社では境内で鹿の肩骨を拾い、太兆の卜に焼いたものとして喜ぶ。玉前神社では、境内で遊ぶ童子の中に姫神が十二単を着た少女姿で現れ、童に五色の絹糸を買わせることがあるとの伝説あり。一行は社の前のかぶらき屋に泊まる。嘗て鑒通方に仕えていた同地の綿屋源六を呼び、下永井村妙見宮や「寄石」伝説など土地の口碑を聞く。翌朝、寄石や妙見宮を見て出発、途中で雨に降られ小浜村の八幡宮に立ち寄る。篤胤はその境内で天磐笛(石に穴の開いたもの)を拾い喜び、その故事を語る。漸く鑒通宅に帰り祝宴となる。石は4貫500目余り。篤胤は18日に出立、石笛は別便で江戸に送る。同年10月に嘉長が江戸篤胤宅を訪ねた際の後日談あり。篤胤の命により事の次第を知る二人がその一部始終を詳細に記したもの。巻末に渡辺之望の和歌、玉寄大明神(玉ケ崎明神)の略縁起一枚刷の写し(平田鉄胤附記あり)あり。
貴重資料区分
孤本。
所蔵機関
名古屋大学附属図書館
請求記号
175.935-Mi
備考
薄縹色表紙。四周単辺10行墨刷罫紙。「狎衣記 全」(書名の初2字難読)とある題簽を添付するが、本書のものか不明。
メタデータ提供者
名古屋大学附属図書館
資料種別
和古書
画像有無
無
コレクション
名大システム 古典籍内容記述的データベース
名古屋大学が所蔵する和漢古典籍について、書誌だけでなく内容までも詳細に記述したデータベースです。