御代々御朱印写 外
引用
『御代々御朱印写 外』(名古屋大学附属図書館所蔵)「名大システム 古典籍内容記述的データベース」収録(https://da.adm.thers.ac.jp/item/n004-20230901-00575)
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ID
j338
コレクション内カテゴリ
- 神宮皇学館文庫
書名
御代々御朱印写 外
書名ヨミ
ゴダイダイゴシュインウツシ
別タイトル / 旧書名
御代々御朱印写
書名備考
原題簽欠。書名は巻頭見出しによる仮題。
数量
1冊
寸法・大きさ
27.3/19.9
丁数
61
原装・改装
原装
版写
写
書型
大
成立
奥書等なし。来田有親書写本(筆跡による)。
成立推定
近世中期写
内容注記
伊勢神宮に関する法令を中心とした雑記録集。内容は以下の通り。①「御代々御朱印写」:秀吉及び家康より吉宗(享保3年7月11日付)に至る歴代将軍の神宮宛朱印状。末尾に、寛文11年5月朔日、内膳正・但馬守・大和守・美濃守・雅楽頭連名、外宮祢宜等宛定書を付す。墨付13丁。②「山田御奉行之覚」:歴代山田奉行の一覧。「一依田肥前守殿〈二千二百石〉/同(宝暦)十三年九月廿三日御初入」まで来田有親筆で一筆(但し順次書き足した可能性あり)。以下、小林筑後守の文化3年の記事まで後人が増補する。5丁。③「山田主従作法之覚」:午10月4日、三方。主従関係に関する定書。④「御師職式目之条々」:慶長10年極月、山田三方、石川大隅守宛。師職の職務についての式目書。⑤「宮中之定〈此称宮中二十八箇条〉」:延宝6年卯月9日、外宮長官満彦、三方中宛。神宮中の諸法度。⑥「三方人庶子之事」:山田惣中宛。三方人庶子の身分について。⑦「於三宮内人之屋敷を年貢にて借居申者罪科之時年貢地ハ古来御闕所ニ不罷成由緒之覚」:午10月4日、山田三方、石川八左衛門宛。⑧触書:承応2年3月、三方、山田惣師職中。参宮人案内で女に幣箱を持たせぬ旨。⑨「覚」:5月10日、桑山丹後、山田三方中。山田中、焼失の者へ金1万両拝借金の件等。⑩「覚」(表書「伊勢外宮方下知状」):寛文8年4月22日、丹後・甲斐・山城・内膳・但馬・大和・美濃、外宮年寄共宛。外宮師職久保倉右近と内宮師職佐八掃部との旦那論について。⑪下知状:寛文11年11月22日、丹後・長門・伊賀・山城・内膳・但馬・大和・美濃、外宮師職中宛。外宮師職三日市帯刀が祓に「両太神宮」と書いた一件。外宮師職中西丹波の提出した証拠が偽造とされ、丹波は神領追放、帯刀等は閉門。⑫「覚」:亥(天和3年か)7月29日、堀田筑前守、稲葉丹後守宛。京都所司代の業務について。神宮と無関係。⑬「条々」:天和2年9月25日、下野守、山田三方中宛。同年10月11日、下野守、外宮長官/祢宜中宛。外宮領鶴松浜新田について。⑭「武家諸法度」:寛永12年6月22日、秀忠。神宮と無関係。⑮「武家諸法度」:宝永7年4月15日。⑯「浄土宗諸法度」:元和元年7月日。⑰「浄土宗法度」:享保7年12月、〈惣本山役者〉光徳寺・常林寺・大雲院・天性寺・専称寺・浄福寺、〈勢州山田〉欣浄寺・霊厳寺・玄忠寺・惣門中宛。⑱「町宿之定」:宝永7年正月日、三方。参宮人の町宿について。⑲両宮師職家名:外宮二門氏人・四門氏人、内宮重代・地下の家名一覧。⑳覚書:天和3年10月3日。山田師職の帯刀御免について。21覚書:宝永2年6月9日。無位師職が参宮人案内の際に大紋着用御免のこと。22「伊勢国渡会郡神領二見六箇村之内山田原村密願寺与三津村出入裁許之事」:享保11年12月26日、稲下野・久大和・筧播磨・駒肥後・諏若狭・大越前・小信濃・太備中・黒豊前。難波芦原浜荻(地名)と東山の支配について。23「覚」:享保15年2月28日、青木主水・水口伊織、外宮子良物忌中宛(2通)。物忌玉串大内人の御座拝見と職掌について。⑫⑭⑮⑯⑰は神宮と無関係。
旧蔵印・識語
印記「来田氏家蔵」。
所蔵機関
名古屋大学附属図書館
請求記号
175.8-G
備考
原装渋刷毛目表紙、紙縒綴。
メタデータ提供者
名古屋大学附属図書館
資料種別
和古書
画像有無
無
コレクション
名大システム 古典籍内容記述的データベース
名古屋大学が所蔵する和漢古典籍について、書誌だけでなく内容までも詳細に記述したデータベースです。