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富士信導記

引用
,『富士信導記』(名古屋大学附属図書館所蔵)「名大システム 古典籍内容記述的データベース」収録(https://da.adm.thers.ac.jp/item/n004-20230901-00851)
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ID
j1909
コレクション内カテゴリ
  • 神宮皇学館文庫
書名
富士信導記
書名ヨミ
フジシンジンノミチビキノフミ
別タイトル / 旧書名
富士信導記
書名備考
原題簽欠(左肩に子持枠の一部が纔かに存)。書名は内題による(ふりがな「ふじしんじんのみちびきのふみ」)。
編著者
宍野半(半之進) ( シシノナカバ )
数量
1冊
寸法・大きさ
22.3/15.0
丁数
15
原装・改装
原装
版写
刷り書写の態様
早印。
書型
成立
巻首「権少教正宍野半教会物語」。明治10年2月届、著述人 宍野半之進(第二大区七小区飯倉狸穴町十七番之二番地)、出版人 川越房吉(第七大区一小区今里村四十二番地)、発兌人 森江佐七(第二大区七小区飯倉五町目三十番地)刊。刊記の末に広告「此次巻は附録として参明参弟参鏡参申一一三元身禄之心と申す訳柄を出版仕候御求め被下度奉願上候」。
成立西暦
1877
内容注記
長谷川角行(藤原武邦)及び身禄派富士講系の神道書。漢字かな交じり。教義を問答体で懇切に解説する。富士登山の功徳をも説く。見返に富士山の絵図あり。
所蔵機関
名古屋大学附属図書館
請求記号
178.9-Si
備考
玉子色表紙、布目(型押)。○宍野半は神道家。薩摩の人。平田鉄胤門。明治5年教部省に出仕、翌年職を辞し、静岡県浅間神社の宮司となる。各地の富士講の結集をはかり、同年、富士一山講社を組織。8年丸山講を傘下にいれて扶桑教会を設立。15年教派神道として独立し扶桑教と改称し初代管長となる。明治17年没41歳。
メタデータ提供者
名古屋大学附属図書館
資料種別
和古書
画像有無
コレクション

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