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豊受皇太神御鎮座本紀・天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記

引用
『豊受皇太神御鎮座本紀・天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』(名古屋大学附属図書館所蔵)「名大システム 古典籍内容記述的データベース」収録(https://da.adm.thers.ac.jp/item/n004-20230901-00629)
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ID
j392
コレクション内カテゴリ
  • 神宮皇学館文庫
書名
豊受皇太神御鎮座本紀・天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記
書名ヨミ
トユケコウタイジンゴチンザホンギ・アマテラシマスイセニショコウタイジングウゴチンザシダイキ
別タイトル / 旧書名
豊受皇太神宮御鎮座本紀
書名備考
原題簽左肩無辺「御鎮座本記/御鎮座次第記」(代赭色料紙)。書名は各内題による。①の国書総目録題「御鎮座本記」。
数量
1冊
寸法・大きさ
27.5/19.1
丁数
30
原装・改装
原装
版写
書型
成立
①:元奥書「于時大佐佐命乙乃古命蒙勅宣奉仕己酉歳乙乃古命二男大神主飛鳥記之」。元書写識語「文治元年四月廿一日正殿仮殿遷宮之時以外宮一祢宜光忠本書写畢/于時 祢宜高倫写之判」「(上部に朱書「古本已下無之」)其後祢宜延行相伝之」「止由気太神御鎮座本紀〈大神主飛鳥記〉/古老伝曰六十未満不及披見云々〈一祢宜氏守以後禁制云々〉何況於他見乎曽祖(傍記「延行」)七十二歳披見之祖父(傍記「行忠」)六十一歳披見予六十歳拝見之/乙未歳祢宜正四位上度会神主判」「一校了 以旧本書写之」「当〈正平十与文和四〉乙未歳十二月十六日書写之以今日之内所馳筆也仍字形散々即日一校了祢宜度会神主章尚判」「延文元年丙申十月十七日以彼本書写了但依為〓{5FE9}本先為写留反古裏仁令書之条有恐々々早速可書改者也」「校合了」「貞治六年丁未四月廿八日以一祢宜行忠神主自筆本重令校合了/沙弥暁帰〈俗名度会神主実相〉/還俗図書助通俊」「神蔵十二巻秘書内最極秘書〈文治勘録文具也俗名上代本紀云々〉/慶安三年庚寅七月廿一日写功畢」「右本者延文四年祢宜章尚書写之本而去正保二年孟秋写留之処今又通俊之本披見之間以両本校合之書写者也但章尚之本者伝写之誤字形不正故也且雖不為正本神書中引用之処有相違者以朱傍書而已/権祢宜従五位下度会神主延良判」「(以下は朱書)寛文八年六月十五日以古本一校了以朱点之/(以下は小字)古本祢宜高倫写之已下之文云/以行忠書写本点之同一校了己宛廿七彼本点者悉朱也為存知記之/正平十四年/己亥年二月四日外宮祢宜正五位下度会神主章尚判/延文四年/永正十三年丙子十二月於于宿舘書写畢一校畢写大略朱点也/双紙数十五ケ有之/一部ノ紙数十五枚也」。②:元書写識語「〈本云〉当宮調御倉神代秘書十二巻内神記并飛鳥記以一祢宜光忠書写本文治元年四月廿一日正殿仮殿遷宮之次於宿舘書写畢/祢宜度会神主高倫判」「件書写本者祖前三祢宜延行神主相承之于時以彼本書写之 祢宜度会神主判」「於正案三通者〈神記一二/飛鳥記〉別筥秘蔵之判」。書写識語「享保十一丙午年秋末度会清在以本書写之畢/大内人一頭藤原親岑(朱印「文軒」「藤原親岑」)」。
成立西暦
1726
内容注記
2書合写本。①「豊受皇太神御鎮座本紀」:21丁。②「天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記」:伊勢二所皇太神の鎮座の次第を説いた神道書。伊勢神道の経典、神道五部書の一。漢文体・宣命体。9丁。
旧蔵印・識語
印記「来田氏家蔵」。
保存状況
虫損あり。
所蔵機関
名古屋大学附属図書館
請求記号
175.82-To
備考
朽葉色表紙。①:半丁8行17字。頭書に見出書あり。8丁目の後に裏書の写しあり。②:半丁8行17字。
メタデータ提供者
名古屋大学附属図書館
資料種別
和古書
画像有無
コレクション

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