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蕁麻科 楮栲譜

引用
『蕁麻科 楮栲譜』(名古屋大学附属図書館所蔵)「伊藤圭介文庫 錦窠図譜の世界」収録(https://da.adm.thers.ac.jp/item/n002-20230901-13345)
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ID
M2005033018273231986
コレクション内カテゴリ
  • 錦窠植物図説
書名
蕁麻科 楮栲譜
別タイトル / 旧書名
Vol. 107 蕁麻科 楮栲譜
巻次
107-077
本文言語
日本語
翻刻・翻訳
綿の条に(時珍日木綿有二種、似木者名古具似草者名古終とありて、木綿と草綿とを別物としたれども我国にては草綿を常に「キワタ」と云ひて、同種とする如く思はるれば、今は本草綱目の説を取らず)といふ植物の実より生ずる綿を紡ぎて作りし糸もて織れる布の名なれど、其綿糸等を(絹綿絹糸等に対へて)常にモメン綿モメン糸などいふを思へば此もモメン布といふべきを省略せるなるべし、此の植物はもと我国固有の物にあらず、其の本邦に植ゑ初めしは桓武天皇の御代にて、参河国に漂着せる崑崙人(今の印度人なり)の持ち来りしに始まれり、日本後紀(八巻)及び類聚国史(第百九十九条殊俗の部崑崙の条)を案ずるに、桓武天皇延暦十八年(紀元一千四百四十一年)七月、有一人乗小船漂着参河国以布覆背、有犢鼻不着袴、左肩着紺布、形似袈裟、年可廿、身長五尺五分耳長三寸余、言語不通不知何国人、大唐人等見之、僉日崑崙人、後頗習中国語、自謂天竺人、常弾一弦琴、歌声哀楚閲其資物、有如草実者、謂之綿種云々、同十九年夏四月庚辰、以流来崑崙人所齎賚綿種、賜紀伊淡路阿波讃岐伊予土佐及太宰府等諸国、殖之、其法先簡陽地沃壌堀之作穴、深一寸衆穴相去四尺乃洗種漬之令、経一宿明旦殖之、一穴四枚以土掩之以手按之、毎旦水潅常令/潤沢、待生芸之と見えて種殖の法まで此く詳かに載せられたれども何時のほどに其養法を失ひけん、其種竟に絶えて、世に伝はらず、新撰六帖に載する所の衣笠内大臣家良(紀元一千九百年頃の人なり)の歌に、「しき島のやまとにはあらぬから人の植ゑてし綿の種は絶えにき」とあるによれば、そのかみ絶えて既に久しくなりし事明らかなり、(万葉集巻三に沙弥満誓(紀元一千三百七八十年比の人なり)が綿を詠ずる歌とて「しらぬひの筑紫の綿は身につけていまだハ着ねどあたゝかに見ゆ」とあると、又六国史等に官人等に絹布綿などを賜ふ事のしばしば見えたるとによりて草綿は古くよりありしものならんと疑ふ人あれども、此れ等の綿は皆今いふ真綿の事にて、草綿より生ずる綿にはあらず、思ひ紛ふことなかれ」、て崑崙人の持ち来りし綿種は、右にいへる如く早く絶えたれど、近世に至り再たび外国より伝はりて、今は我国に欠くべからざる農産物とはなりにたり、抑も此の物たる或は伸綿として衣被の間に入れ、或は織布として衣服に製り、共に寒気を防ぐに甚だ宜しかりしかば貴となく賤となく此綿を受重し、殊に(雑誌切り抜き「ユフとモメンとの弁 並に綿種渡来の事 東京 東宮鉄麿」続き)
所蔵機関
名古屋大学附属図書館
メタデータ提供者
名古屋大学附属図書館
資料種別
和古書
画像有無
カラー
コレクション

伊藤圭介文庫 錦窠図譜の世界

日本における近代植物学の祖といわれる伊藤圭介の稿本(手書き本)188冊を集めたもので、その中には、錦窠植物図説、採草叢書の他、錦窠魚譜、錦窠虫譜等があります。
所蔵機関
名古屋大学附属図書館
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