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伊藤圭介文庫 錦窠図譜の世界

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名古屋大学附属図書館

<伊藤圭介文庫について>

名古屋大学附属図書館が所蔵する「伊藤圭介文庫」は、日本における近代植物学の祖といわれる伊藤圭介の稿本(手書き本)188冊を集めたもので、その中には、錦窠植物図説、採草叢書の他、錦窠魚譜、錦窠虫譜等があります。

 

<伊藤圭介について>

伊藤圭介は、享和3年(1803年)名古屋呉服町に⽣まれた。⽗は医家⻄⼭⽞道である。名は清⺠、号は錦という。幼児より⽗兄に従って儒学と医学とを学び、また植物学を研究することを好んだ。⽂政3年(1820年)18才にして医業を開いた。19才の時、京都に遊学し、洋学を学び、⽂政10年(1827年)25才の時、⻑崎に赴き、ドイツ⼈シーボルトに植物学を学んだ。これが⽣涯を通じて学問研究の⼀転機となり、27才で初めて、「泰⻄本草名疏」を訳述刊⾏したのである。以後著書は17種に上る。この中、有名なのは、「⽇本産物志」「⽇本植物図説草部」等である。

また医家としての功績の優なのは種痘を始めたことであり、嘉永5年(1852年)50才の時、尾張藩主から種痘法取調を命ぜられ、以後尾張藩の医術に尽すところ⼤であった。また郷⼟の博物学の啓蒙にも努⼒した。

明治14年(1881年)東京⼤学教授に任ぜられ、同21年(1888年)理学博⼠の学位を受けた。また東京学⼠会院の初代会員となった。明治34年(1901年)東京⼤学名誉教授、男爵を授けられ、同年98才を以って逝去した。

明治初年(1868年)廃藩置県の際、蘭法医学の必要を強調、愛知県に対し、同志と共に⻄洋医学を講ずる学校の開設を建議し、これが容れられ、名古屋藩の元評定所に初めて医学校が創設された。これが今⽇の名古屋⼤学の濫觴(らんしょう)である。

 

「伊藤⽂庫図書⽬録」名古屋⼤学附属図書館(昭和31年3⽉20⽇)解説より抜粋・修正

「伊藤圭介略年表」

 

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サムネイル画像は、『魚譜 二』(名古屋大学附属図書館所蔵)「伊藤圭介文庫 錦窠図譜の世界」収録(https://da.adm.thers.ac.jp/item/n002-20230901-00350)より