棕櫚科 中
引用
『棕櫚科 中』(名古屋大学附属図書館所蔵)「伊藤圭介文庫 錦窠図譜の世界」収録(https://da.adm.thers.ac.jp/item/n002-20230901-17038)
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ID
M2005033019503036720
コレクション内カテゴリ
- 錦窠植物図説
書名
棕櫚科 中
別タイトル / 旧書名
Vol. 128 棕櫚科 中
巻次
128-068
本文言語
日本語
翻刻・翻訳
貝原益軒大和本草曰多羅葉大而長厚、其実色赤攅然成簇、其木雄者無実四時不易葉、貝葉書経見西域書、恐此葉也、昔者一寺有所崇重者、名曰貝多羅葉、就而見之状如我邦所謂多羅葉而大西域記貝多羅樹果熟即赤而如大石榴、人多食之由此観之似与我邦所産不同、雖然以竹木刺刺其木葉、其痕黒猶若以墨書之、所謂多羅樹乎且剥其樹皮為黐与十大功労同、我邦今山林処々而有焉、蓋古来有此樹耶別有称タラノキ者、与此異、又有一種、筑前後曰オホモチノキ似多羅葉、是多羅葉之別種、到冬葉不隕、又君山翁ノ本草正偽所載増損此説、蓋誤耳、邦俗呼做ス多羅葉者、其葉似楠葉而好事者或以為写経之貝多、亦謝誤矣矣、貝原氏所記者即是也、嵩山記貝多葉似枇杷、此亦誤矣、茂按天竺所謂貝多羅者与此大異、釈法雲飜訳名義集曰多蘿(羅カ)旧名貝多、枇飜岸如此方梭櫚、直且高、極高八九十尺、花如黄米子、有人云一多羅樹七仭七尺、曰仭是則樹高四十九尺、西域記曰南印建邢補羅国北不遠、有多羅樹林三十余里、其葉長広其色光潤、諸国書写莫不採用、釈梅国真州作題按陰腐談曰法雲以貝多飜岸、按当岸当作葉、知伝馬写誤書葉為岸也、今所引下二説漢既飜為葉、梅国云云亦可謂能致思也、段成式酉陽雑爼云貝多出磨伽陀国、長六七尺、経冬不凋、此樹有三種、一者多羅娑、一曰婆、力又貝多、二者多梨、一曰馬力叉貝、三者部、一曰婆、力叉多羅梨、一曰多梨貝多、並書其葉部闍一色取其皮書之、貝多婆、一曰婆、力叉者漢言葉樹也、西域経書用此三種、皮葉若能保護、亦得五百年、唐詩鼓吹曰貝多彼上経文、動注曰梵語貝多漢葉西域写径用此、東西洋考占城(チャンパ)条貝多葉蕈貝多葉長一尺五寸、濶五寸許、葉形似枇琶(杷カ)而厚、夷人以此書字者也、■以為蕈、按和蘭舶上邦俗呼做蓋百蝋(アンベラ)者蓋此也、宋時占城充貢、屈大均広東新語曰貝多羅来自西洋、葉大而厚、梵僧嘗以写経、唐人詩貝多紙上手自書
所蔵機関
名古屋大学附属図書館
メタデータ提供者
名古屋大学附属図書館
資料種別
和古書
画像有無
カラー
コレクション
伊藤圭介文庫 錦窠図譜の世界
日本における近代植物学の祖といわれる伊藤圭介の稿本(手書き本)188冊を集めたもので、その中には、錦窠植物図説、採草叢書の他、錦窠魚譜、錦窠虫譜等があります。
所蔵機関
名古屋大学附属図書館
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